このブログでは、個人的な出来事は書かない方針ですが、今日は悲しい出来事があったので、自分を癒やすために書きます。書く事で癒やされることがあるからです。
──20年前。
私たち夫婦は都内の田舎とも言えるような交通の不便な場所にある2階建ての木造アパートに暮らしていました。
それでも、目の前に造園業の樹木がストックされている森のような庭があり、まるで高原の別荘からの風景の様な景色が見られる良い環境でした。そして何より野良猫たちがのびのびと暮らしている賑やかで穏やかなな環境でした。
その前日の夜は雨でした。どうやら「それら」は、その雨の中、自宅のアパートの前を走り抜けた車の窓から造園業者の庭に捨てられたようです。
捨てられたのが生まれたばかりの子猫たちだったと言うのは翌日にわかりました。
妻が鳴き声を頼りに自宅前の森のような造園業者の庭を探すと、草むらからぼろぼろになった生まれたばかりの子猫を2匹発見しました。一匹は既に死んでいるのか既にハエがたかっていました。
ところがよく見ると生きているます。妻はその2匹を拾い、汚れを洗い落としてあげました。その子は白黒の斑でした。
その夜、2匹のうち元気だった方の子猫が血を吐いて急死し、元気が無く、ハエがたかっていた白黒斑の子猫だけが生き残りました。
獣医に診てもらうと、小さすぎて育てるのが難しいだろう、と言われました。10日ほどしか生きられないだろうと。それでも妻は諦めずに子猫用ミルクを飲ませてなんとか育て始めました。
そして私は、その白地に黒の斑模様が、ご飯に海苔が付いているようだったので、「のりまき」と名付けました。
やがてそろそろ目が開いていても良いだろうという頃に私が気付いたのです。
「この子、目が見えていないんじゃないか?」
目の前に物を置いても反応しません。獣医に診せると、大学病院を紹介されました。連れて行くと、胎児の段階で眼球がきちんと形成されておらず、生まれながらの全盲であることが分かりました。
大きくなったら里子に出そうとしていたのですが、全盲では無理です。しかも後ろ右足の成長が未熟で、あるとき網戸を上っていたらしく、そこから落ちる際にこの未熟な足のツメが網戸から離れずぶら下がってしまう状態になり、腱を切ってしまったようでした。
それで、この子は後ろ右足を一生引きずって歩くことになってしまいました。
全盲ですが、音と臭いは分かりますので、トイレにも自分で行けるし、水も飲めるようになりました。そしてあちらこちらにぶつかりながらも、ちゃんと自分の小屋に戻って寝ているのでした。その姿はかえって愛らしく感じたものです。
それでもアパート前の道路をトラックなどが通ると、その音でパニックになったりしてなかなか面倒を見るのも大変ではありました。
目も見えず、足も不自由であちらこちらにぶつかりながらあるくのりまきを見て、「なんて不幸な猫だろう。」と思ったものです。
のりまきは成長しても3キロ台の小柄な猫でした。我が家には先住の6キロ台の猫が居ましたので、のりまきだけはいつまでも子猫に見えた物です。
先住の大きな三毛猫が、こののりまきを良く舐めて毛繕いしてくれました。母性が目覚めたのでしょう。
大学病院を紹介してくれた獣医の見立てでは、のりまきは10日くらいしか生きられない未熟な子だと言われましたが、それから10年後に今の住まいに引っ越す時にも元気に生きていました。
全盲で後ろ足も不自由で、とにかく世話の掛かる子でしたが、その不憫さが却って愛情をより多く注ぐことになりました。
目が見えず、足が悪いので、何年経ってもよちよち歩きでした。鳴き声もいつまで経っても子猫のような声でしたし、目が見えない分、健康な猫より学習していないのか、その振る舞いも子猫の様でした。
悪い足を軸に、同じところをくるくる歩き回るのが、のりまきの遊びのようでした。たまには台所やリビングにまで歩いてきて、戻れなくなると「めー、めー」と鳴いて妻や私を呼びました。それがのりまきがたまに行う「大冒険」だったのです。
そのような遊び以外では、目が見えないので、他の猫のようにおもちゃで遊ぶことも出来ませんでしたから、多くの時間は自分の小屋の中で寝て過ごして居ました。
それからも風邪を引いて死にかけたり、見えない眼球が膨張して摘出手術をしたり、歯茎が炎症を起こしたり、さらにはてんかんの発作まで起こすようになったりと、様々な困難に遭いながらも妻の献身的な世話もあり、とうとう20年も生きました。体は不自由でしたが、生命力は強かったのでしょう。
それが今年になると、トイレにうまく行けなくなったり、よちよち歩きも不自由になるようになりました。見た目こそ子猫の様ですが、着実に老化していたのです。
そしてある日、お乳の部分が堅くなっていることに気付きました。獣医に診てもらうと乳癌です。
乳癌は驚くべき速度で成長し、おなか中に広がっていきました。
「これが破裂したら出血多量で死ぬでしょう。」
獣医にそう言われました。ところがその前に、いきなり歩けなくなったのです。のりまきは必死に立ち上がろうとするのですが、足がうまく体を支えられません。筋力はあるのですが、力の入れ方が間違っているように見えました。
獣医に診てもらっても原因が分かりません。それからは、トイレに行きたそうにすればトイレに入れてあげなければならなくなりました。オムツもさせました。
数日もすると、とうとう寝たきりになってしまいました。食事も妻が匙で食べさせてあげ、水も妻がシリンジで飲ませてあげる毎日が始まりました。
衰えていく体とは逆に、癌は加速しながら成長・転移していきます。獣医に診せると、肺に転移していることが分かりました。
もう、この状態になると絶望的です。肺が止まるか、おなかの癌が破裂するか。私たち夫婦は、のりまきが苦しまないように、癌の成長より先に、のりまきの寿命が尽きること、つまり老衰で死ぬことを望むようになりました。
そのような状態で約1月の間、のりまきは妻の介護を受けて寝たきりで生きていましたが、数日前から呼吸が苦しげになりました。恐らく肺に転移した癌が悪さを働き出したのでしょう。
そして夕べ、寝る前には呼吸がかなり浅くなり、ときどき苦しげに足をばたつかせるようになっていました。もう名前を呼んでも反応しません。
今朝の3時頃、妻が起きてのりまきの世話をしようとしたときはまだ呼吸をしていたようですが、その2時間ほど後に見ると既に息は無く、その命は尽き果てていました。
それで今日、先代の猫たちが眠るお寺に連れて行き、経を上げていただき荼毘にしました。
荼毘にされる前、炉に入れられる寸前に見た後頭部が、とてもかわいらしいままで、今でも目に焼き付いています。
お骨を拾うとき、妻と言いました。
「もう、のりまきを苦しめる癌も、歯肉炎も燃えて、やっと痛みから解放されたね。」
世話のかかる猫でしたが、その世話をすることで癒やされていたのは私たちでした。
そして私は思ったのです。以前は「なんて不幸な猫だろう。」と思っていたのりまきですが、この20年、妻の惜しみない愛情を注がれ続けて暮らしてきました。
そしてその最期までしっかりと面倒をみてもらったのです。その姿を見て私は思うのです。
「なんて幸せな猫だったのだろう。」
と。
お寺から帰宅すると、暗くなった部屋で静かに寝ているはずののりまきがいません。
窓を開けると、冷たい風が入ってきたので、思わず「のりまきが寒がらないか?」と小屋の方を見てしまいましたが、もう、のりまきはいません。
涙が止まらなくなりました。
他人から見れば、なんとも奇妙で小さな生命だと思いますが、私たち夫婦にはとても大切な家族でした。
まだまだ、その小さな生命が暮らしていた場所を見ては涙が止まりません。
しばらくは、居なくなったことに慣れるまでは、その小さな痕跡を見る度に、涙が流れるのだと思います。
以下、のりまきの生前の写真です。右目は摘出され、残った左目は濁って見えていません。後ろ右足は未熟で腱も切れたため、伸びきったままです。
それでも、20年一緒に暮らしたとても可愛い猫でした。
さようなら。のりまき。20年間、ありがとうね。





そうですね、のりまきには、妻が言うように、今度こそ健康な体に生まれ変わって、再び我が家に縁づいて欲しいと思います。
これまで2匹の猫を見送りましたが、いつも同じように思います。
犬も猫も、彼らの無邪気さや、無条件で生きようとする姿勢には、心を癒やされます。
愛情は受けること以上に、注ぐ方が満たされる気もします。
だから、喪失感も大きいのかもしれません。
こうしてパソコンに向かっていると、いつものりまきが足元をよちよち歩き出すので、抱えてトイレまで運んであげていたのに、もうできないのが寂しくて寂しくてしかたありません。
読んでいて、ただただ・・・涙が流れました。
幸せな猫生だったですね。
心からお疲れ様でしたと言いたいです。
今はりっぱな猫神様です。
みんなみんな、幸せになってほしいですね。
野良ネコと言う言葉が無くなる日が来たらいいのに。
私も20年以上の猫がいましたが
数年前に他界しました。
悲しみが思い出に変わるまで
数年かかりました。
未だ室内の扉は猫が通れる隙間を作ってしまいがちです。
やはり猫との生活が空気のように一部になってました。
早く悲しみが微笑みに変わり思い出話ができるようになるといいですね。
「幸せだったよ。痛いときに傍にいてくれてありがとう」って言っているみたいです。
今日も帰宅すると、誰も居ない暗い部屋の隅に、のりまきがうずくまっている気がしました。でも、もう居ません。
この寂しさになれるまで、何度も幻聴や幻を見るのですね。数年前に亡くなった猫の声や姿を、今でも聞いたり見たりしたような錯覚があるくらいです。
でも今、同じ部屋の小屋には、のりまきが小さかった頃に毛繕いをしてあげていた、あの三毛猫がよたよたと歩きながら入ってきました。もう21歳です。まだがんばって生きています。
昨晩は、いなくなったのりまきを探しているのか、部屋の中を行ったり来たりしていました。
また、5歳(だっかかな?)のアメリカンカールの長毛種で大型の腕白小僧が、ソファーで大の字に寝ていました。
彼らがいやしてくれています。
皆、介護が必要になっても構わないから、長生きしろよ、と言いたくなりました。
どうしても何か一言残したくて、書き込んでいます。
うちにも15歳の猫がいて、まだ元気でいますがいつ病気や老衰がくるかわからないので心配しています。それと併せて、読みながら10年前に亡くした姉のことを思い出していました。
生きている者が亡くなる時はいつでも寂しくて悲しいですよね。
でも、同時に、自分にとって大事な事を思い出させてくれたり、教えてくれ、感謝の思いでいっぱいです。
21歳のにゃんこちゃんが長生きでありますように、心から祈ってます。