シリアでデモが弾圧されている。アサド政権側と反体制派との武力衝突にまで発展しており、血で血を洗う動乱が起きている。「シリア騒乱」と呼ばれている。
シリアで何が起きているのか。
シリアの日本での公式な名称はシリア・アラブ共和国。だが、これ以降は通常使われているシリアに統一したい。
デモの状況を見る前に、恥ずかしながら、私はシリアがどのような国か良く知らないので、復習しておくことにした。
場所的には、中東で何か問題がある度に表示される地図には、いつでも入ってしまうというほど多くの国に隣接している。
接している国々は北はトルコ、東はイラク、南はヨルダン、西はレバノン、南西はイスラエル。
地図を見る限り、どうにも落ち着きの悪い場所だ。ただ、北西が海に接している部分で、なにやら解放されている部分があるようでほっとする。要するに、これだけ多くの国々に囲まれてはいるが、港を持っているということだ。
首都は有名なダマスカス。
ただ、注意が必要なのは、歴史を語る際のシリアという名称には、国ではなくレバノンやパレスチナを含めた地域を示す場合もあるということだ。このときを特に区別して「大シリア」とか「歴史的シリア」などとも表記するらしい。
が、これ以降で使うシリアは、シリア・アラブ共和国を示す。
国名にも表記されているように、シリアは共和制だ。かつ、大統領制である。
国の体制としては、社会主義であり、人民民主主義と規定している。中国で言う共産党にあたるのが、バアス党(アラブ社会主義復興党)だ。
このバアス党が提案した人物の中から人民議会が1名を選んで大統領候補とする。その候補が国民投票で承認されれば大統領になる。
一応、大統領の任期は7年とされているが、再選の制限がないので、独裁制的な運営が行われる可能性が高い。
また大統領の人事に関する権限も大きく、首相、閣僚評議会のメンバーらは大統領が任命できる。要するに、気に入った人物ばかりを周りに配置できてしまう。
おもしろいのは、議会で、定数が250議席の内127議席は労働者と農民の代表でなければならないとされている点だ。このことで一応、民意は取り入れているよ、ということなのだろう。
まぁ、要するに一党独裁で、合法的には野党が存在しないことになっている。
また、前述したとおり、大統領が独裁的になりやすい制度であると言える。
実際、現在のバッシャール・アル=アサド大統領(これ以降はアサド大統領と表記)は独裁政権の様相を帯びている。
ただ、アサド大統領が就任した当時は、民主化改革の色合いが強かった。
就任後に、腐敗官僚の一掃を行い、政治犯とされてきた者たちを釈放した。また、欧米との関係の改善も目指している。
そのため、アサド大統領のこうした一連の活動は、改革派からは「ダマスカスの春」などと呼ばれて歓迎された。
しかしアサド大統領の方針をがらり、と変える事件が起きる。
2003年のイラク戦争だ。
イラクは前述の通り隣国だ。しかもサッダーム・フセイン政権はアサド大統領と同じくバアス党政権だった。
このフセイン体制が、米国軍の軍事力の前に崩壊した。
これを見たアサドは震え上がった。そしてダマスカスの春は終わる。
アサド大統領は、体制引き締め政策に乗り出す。デモや集会を禁止した。民主活動家と呼ばれる者たちも逮捕し、禁固刑にした。
また、言論統制も行い、国民の移動にも制限を与えた。
そう、突然民主化を逆行させたのだ。
同時に、「色の革命」と呼ばれる一連の革命にさらなる脅威を覚えた。
「色の革命」とは、旧共産圏や、中東における諸々の民主化革命のことで、色や花の名前が付いた。
旧共産圏では、ユーゴスラヴィアの「ブルドーザー革命」、グルジアの「バラ革命」、ウクライナの「オレンジ革命」、キルギスの「チューリップ革命」が起きた。
中東では、レバノンの「杉の革命」、イラクの「紫の革命」、クウェートの「青い革命」、そしてチュニジアの「ジャスミン革命」が起きている。
これらの革命で政権転覆が相次ぐと、アサド大統領は、ますます民主化逆行を推し進めた。
この様な動きは、返って民主化運動を触発してしまうのだと言うことに気づいていたかどうかは分からない。
一方、経済状況はどうだろう。
経済は、バアス党による統制経済が行われている。そのため、各産業の分野にはあまり偏りはないとされている。
また、石油資源も豊富なため、豊かかと思うと、そうではない。やはり石油による富の分配は上手く行われていない可能性がある。
中東で革命が起きる場合、その多くが、石油の富を国民が公平に享受できていないことにあった。
また、米国による禁輸措置も行われていることもあり、経済状況はあまり良くない。
失業率は財務省のサイトでは2009年度に8.5%となっているが、2004年にシリア政府が発表した数字ではなんと20%を超えているという。シリア政府の数字が確かであれば、これは大きな火種と成る。
シリア政府は現在、中国の市場経済導入手法を真似て、市場経済の導入を図ろうとしているところだ。
と、ここまで分かると、かなりおおざっぱではあるが、シリアという国がおぼろげながら見えてきた。
さて、ここからはいよいよこのたびの動乱に至る過程をたどってみたい。
今年に入ると既に暴動の兆候として、体制批判の落書きが見られるようになっていた。落書きには「打倒アル=アサド」などと書かれていたという。
そして1月26日。チュニジア革命と同じように(おそらく真似て)、ハサン・アリ・アクレーという人物が、自らガソリンを被って火を付けた。これがシリア政府への抗議の明確な始まりと言われている。
2日後には、2名のクルド人戦死が殺されたことに対するデモが行われた。これがデモの端緒かもしれない。
すると他の革命同様、FacbookやTwitterによる抗議活動の呼びかけが始まる。
「2月5日を『怒りの日』にすべし」
しかしこの抗議活動は、まだ国外による小規模なものだった。
ただ、この呼びかけが影響したのか、2月5日には、ハサカで数百名のデモが行われた。デモではアサド大統領の退陣が要求された。
このデモで、シリア当局により多数が逮捕された。これが民衆の怒りに火を付ける。
2月22日には、ダマスカスのリビア大使館を200名前後の人々が取り囲んだ。カダフィ政権に対する抗議だった。このときも逮捕者が出ている。
アサド大統領はこの事態を見て、
「次はシリアだ」
と述べた。
その懸念は的中する。3月15日に、シリアの主要都市ハサカ、ダルアー、デリゾール、ハマーなどで一斉にデモが行われた。反政府運動が拡大したのだ。
いよいよ治安部隊との衝突が始まった。
ダマスカスでは、1500名にまで抗議活動の人々が集まった。
3日後の3月18日。この10年間のシリアでは最も深刻だと言われる暴動が起きてしまう。
金曜礼拝の後だった。ネットで「尊厳の金曜日」が呼びかけられた。この呼びかけに応じて、数千人の人々がシリア各地でデモを行った。目的は政府汚職疑惑の解決を求めるというものだった。
ところがこれに対し、地方治安部隊が抗議者達に対し、暴力的な取り締まりを行った。
人々は叫んだ。
「神、シリア、自由!」
治安部隊の暴力は、国民の感情を煽った。
3月20日。とうとう犠牲者が出る。ダルアーの街路だった。数千名の国民が非常事態法に反対するスローガンを叫ぶ。
そこに治安部隊が発砲した。
1名の死者が出てしまい、負傷者も多数出てしまった。
民衆の怒りは強まり、市内のバアス党本部庁舎に火が掛けられた。また、通信企業シリアテルの建屋にも火が付けられた。
ここにきてアサド大統領は懐柔策を示すが、手遅れだ。デモや暴動に加わる人々が増加を続けた。
群衆は要求する。政治犯の釈放、国民を殺害した治安部隊に対する裁判の要請、非常事態法の撤廃だ。
そして、さらなる自由と汚職を無くすことが要求された。
政府側は、携帯電話の回線を切断し、市内の至る所に検問所を設置した。
5日後の3月25日。今度はネット上に「栄光の金曜日」と名付けたデモの呼びかけが行われた。
いよいよデモの参加者は数万人に膨れあがる。
治安部隊はまたも発砲し、より暴力的な圧力をかけ始めた。
ダルアーだけでも10万人以上の人々がデモに参加した。そのとき、少なくとも20名の人々が殺害されたという情報が流れた。
群衆は暴徒化する。アサドの彫像は破壊され、知事の家は燃やされた。
死者も増えた。サナマインでは25名が治安部隊に殺されたとされ、ダルアーではさらに17名が殺され、オマリモスク周辺ではなんと40名が殺され、ラタキアで4名、そしてダマスカスでも3名が殺されたとされている。
亡命中のスンナ派指導者であるアル・カラダウィ教主がカタールで説教を行う。
「今日、革命の列車がシリア駅に到着した。それはいずれ辿り着く運命にあった。シリアをアラブ国家の歴史から引き離すことはできない。」
アサド大統領はまたも懐柔策を示す。
翌日の26日、アサド大統領は、政治犯200名を釈放することを発表した。また、アサド大統領のメディア顧問であるブサイナ・シャーバンが非常事態法の撤廃を発表した。
さらにアサド大統領は、主要閣僚の入れ替わりに言及し、実際に首相を含む内各区の辞表を受理している。
ところがアサド大統領は、先に撤廃が宣言されたはずの非常事態法を継続したため、国民は失望し、デモを続ける。
4月8日。今度はネット上で「殉教の金曜日」が呼びかけられた。シリア各地にデモが発生する。
その中、ダマスカス近郊に集まった人々に治安部隊が発砲し、8名が殺された。
南部のダルアー近くの町でもデモ隊が殺されている。
シリア政府がトルコ国境を封鎖し、トルコ他の外国人記者達の入国を禁じると、トルコのレジェップ・エルドアン首相がアサド大統領に対し、改革を進めることを要請する。
しかしこの日のデモは最大規模に膨らむ。
ダルアーではデモに参加した群衆からも治安部隊にゴム弾や実弾が発砲されたが、デモ隊側の27名が殺されている。負傷者も多数出てしまった。
人権団体の発表では、この日のデモで、シリア国内では37名が殺されたとされている。
4月19になると、アサド大統領は非常事態法の撤廃議案を承認する。48年ぶりのことだった。2日後の21日には国家最高治安裁判所も廃止し、国民が平和的であればデモを行う権利を認めた。
しかし後手に回るアサド大統領の対処に国民の怒りは収まらない。
4月22日には、またも数万人がデモに参加した。このとき、治安部隊により100名以上もの国民が殺されたとされたが、すぐに外国メディアが国外追放となったため、確実な報道が成されなかった。
抗議者たちの葬儀が行われた4月23日、ダルアーではまたも8名が殺され、夜になると治安部隊が家々を襲い、活動にかかわった人々を逮捕した。
この夜、217名の行方が分からなくなったとされている。
殺戮は激しさを増す。
4月25日にはいよいよ戦車が使われ、ダルアーでは25名以上が殺されている。しかも、上水道、電力、電話回線が切断された。
抗議者たちも対抗して、治安部隊のの兵士を人質にする等の行動に出ている。
シリア政府は今度はヨルダンとの国境を封鎖した。
いよいよ国際問題となり、シリアで起きていることが知られ始めると、米国のオバマ大統領も非難の声明を出した。
「著しく正義に反する」
同時に米国は、自国内のシリア当局資産の凍結準備に入った。
フランス、イギリスなどEU各国も、国連に対し、制裁実施を働きかける。しかしシリアと友好関係にあり常任理事国でもあるロシアと中国が同意していない。
シリアはこの動きに対して、「イスラム主義者たちの扇動による暴力だ」と説明している。
弾圧は続く。
4月29日には、兵士が武装していない抗議者たちを実弾で殺害している映像が投稿されるなど、国際社会への情報提供が行われていた。
この日、アルジャジーラでは50名以上、ロイターでは62名が殺されたと報じている。
ところが治安部隊側でも100名以上が殺されたという。シリア政府の発表では、殺したのはサラフィー主義のイスラム教徒達だというが、確証は得ない。
と、ここに来て米国は唐突に、このシリアの暴力を、イランが支援していると発表した。しかし、イラン側は否定している。
シリアでの暴動は、治安部隊による一方的な攻撃だけではなく、いよいよ殺し合いに発展する。
5月6日、オンライン上には治安部隊が行う暴力の映像や、その逆に装グループが軍の検問を攻撃する映像などが投稿され始めた。検問での攻撃で、治安部隊側に11名の死者が出ている。
この日、多くのデモの指導者達が秘密警察により拘束されたという。
2日後にも取り締まりの最中に12歳の少年が殺され、10歳の少年が逮捕された。
6月に入ると、フランスやイギリスなどによる国連安全保障理事会決議を求める声が上がり始めた。
しかしアサド大統領は、さらなる軍事的圧力を進めた。
6月10には、デモ側の32人が殺されている。
6月16日には潘基文国際連合事務総長がアサド大統領に対し、国民への弾圧を停止するように要求した。
これにアサド大統領は答え、20日には国民と対話すると表明したが、デモはいっこうに収まらず、また治安部隊の攻撃も止まずに24日になるとデモ側が15人殺されている。
9月になると、とうとうイギリス、フランス、ドイツ、ポルトガルが国連安保理に非難決議案を提出したが、ロシアと中国の拒否権により否決されている。
と、ここまでやや細かくトレースしすぎた。話を急ごう。
今月(11月)の5日、アサド大統領退陣を求めるデモがアラブ首長国連邦の衛星テレビ局アルアラビアで放送された。
それによると、治安部隊によりデモ隊の6人が殺されており、死者が増加中だという。
AFP通信の報道では、前日の4日には23人が治安部隊に殺されているという。
血が流れ続けている。
2日にはアラブ連盟により、アサド政権がアラブ連盟との調停案を受諾したと発表したにもかかわらず、弾圧が続いている。
そして4日、シリア内務省は反体制派に対し恩赦の発表をした。
「5日から1週間以内に武器を放棄すれば、恩赦を与えて訴追しない」
しかしデモは続けられている。反体制派は、この内務省の発表を信じていないようだ。アサドはもはや何を言っても信用されない。
そして同日も、反体制派に17人の死者が出た。
既に弾圧により3000人以上の死者が出ている。
5日、国営放送は「現在の出来事に関与した553人の拘束者を釈放した」と報道した。またもアサド政権側の融和策が行われた。
武器の不法保持者に対しても、内務省の声明として「が12日までに警察署に出頭して武器を引き渡せば罪に問わない」と伝えている。
しかし同日、ホムスでは3人の市民が殺されている。北部イドリブ県では政権支持派の武装集団が4人殺されている。
殺し合いがエスカレートしている。
フランスの外務省はアサド政権を非難した。
「弾圧継続は国際社会のアサド政権への疑念を強めるだけだ」
また米国の外務省も同様に非難している。
「アサド政権による約束は何度も破られてきた」
シリアの暴動は、リビア化している。
──夢中になって、長い記事になってしまいました。分割すれば良かった…。
どうもありがとうございます!!ノ
私も調べながら書きました。
この後もシリア関係はたくさん書きました。今のところ、平和への道のりは遠いです。
実際、当方の見方も変わってきており、その辺りの変遷は、この後書かれたシリア関連の記事を読んでいただくしか有りませんが、それらは以下の記事の下に、リストアップしておきましたので、参照いただければ幸いです。
『シリアへの軍事介入にNATOは参加せず。しかし見せしめは必要だと』(2013/09/03)
http://newsyomaneba.seesaa.net/article/373816054.html
また、お立ち寄りください。