13日、菅直人首相は記者会見で「脱原発」に方針を切り替えた、というより元々何も考えていないので、新たなネタとして飛びついたことを表明した。
「原発に依存しない社会を目指す」
と、国のエネルギー政策を根本的に見直すことを軽々と口にした。
個人的には「脱原発」は支持したい。しかしこの男が口にすると、とたんにそれは単なる首相の座の延命措置でしかないのことが見え見えなので額面通りには受け取れない。
一応、体裁を整えるために、原発推進から脱原発に宗旨替えした理由を述べた。
「(原発は)これまでの安全確保の考えでは律することができない技術だ」
そしてもう一つ、しおらしい理由を述べている。
「3月11日に原子力事故のリスクの大きさを痛感した」
以上が宗旨替えの理由だ。
これらの理由自体には反論する気はない。同感だからだ。ただ、今頃?と思わざるを得ない。であるから、本当に単なる人気取りの発言なのだとわかりやすい。
それに、退陣表明したした首相が、この期に及んで国のエネルギー政策に言及するのも無責任な話だ。そのことについて突っ込まれると、
「私の段階だけですべて十分にできるとは思わない」
などと、これまた自分がその道を開いて後は後任に任せるかのような発言を行うことで交わしている。
この菅直人首相という男は、こと自分の言い逃れだけは巧み、というか図々しい。この男が詭弁に長けているかというと、そういうことではなくて、普通なら恥ずかしくて口にできないようなことをいともたやすく口にできる能力があるだけの話だ。
まぁ、国家百年の計などこの男には無関係だ。
マスコミは例によって、この発言をまともに受けて、
「全電力の約3割を担う原発をどうやって無くすのか、あるいは1%に過ぎない再生可能エネルギーの比率を上げられるのか?再生エネルギー特別措置法案は通るのか?」
などといった見当違いの問題提起をしている。既に原発に依存しなくても良い発電能力を、日本は持っている、といった根本的なことを調査していない。怠慢だ。これについては最近の投稿を参照されたし。
『「埋蔵電力」だけではない。既に電力供給力は余っている』(7/11)
http://newsyomaneba.seesaa.net/article/214370024.html
で、結局というかやっぱり、というか、記者会見で分かったのは、菅直人首相が脱原発に対する具体的なロードマップは全く持ち合わせていない、ということだった。また、政府や与党で議論した形跡もなかった。
人気取りの思いつきである。ただし、今国民の人気を取るには何を口にすれば良いか、ということだけは分かっているようだ。姑息な男なのだ。
ところがマスコミだけでなく、原発推進派の経団連も菅直人首相の脱原発発言にかみついた。
「そんなことをしたら、原発利権が得られないではないか!」
などとは言わない。本当のことを言ってしまったら経団連の正体が分かってしまうからだ。そこでこう言った。
「復興を真剣に考える内閣であれば、復興特区や復興庁(の早急な設置)などをやるべきだ」
要するに、自分たちは被災地のことを優先して考えているのだから、脱原発など復興にとりあえずは関係の無い話は止めなさい、と言っている。
もちろん、原発で潤っている自治体も、福島県を除けば脱原発に反対している。例えば東京電力柏崎刈羽原子力発電所を抱える新潟県刈羽村の品田宏夫村長は言う。
「脱原発の社会がどういう社会なのか説明がないし、これほど子供じみた話もない」
また、関西電力高浜原発のある福井県高浜町の野瀬豊町長も同様のことを言っている。
「代替電力をどうするかが示されず、リアリティーが全くない」
全くその通りだが、反論の動機は金欲しさという意味では私とは異なる。それにしてもこの人たち、いまだに原発の恐ろしさを感じていないのだろうか。
まぁ、この手の反発があれば有るほど、原発利権の亡者どもの圧力に屈することなく、脱原発を目指す、菅直人首相という国民受けする立ち位置を確保しやすくなるので、菅直人首相にとっては、有利に働く可能性すらある。
そして、脱原発を錦の御旗として内閣改造、あるいは解散総選挙を有利に導こうとしてるのが良く見えてくる。
12日の衆院復興特別委員会でも、菅直人首相は原発の国有化を示唆した。
「事故のリスクの大きさを考えると、民間企業という形が担いうるのか」
とにかく首相の座を維持するためには、脱原発を主張することだ、とかなり強く意識し始めたのが分かる。最初は浜岡原発の停止、次にストレステストの実施主張、次に原発国有化、そしてそれらの目標として脱原発を置いた。
菅直人首相は焦っている。内閣支持率の低さだ。また、党内にも菅降ろしの機運が高まっている。岡田克也幹事長でさえ、8月上旬に代表選実施を言い出して居るではないか。
だったら、国民を味方に付けるのが手っ取り早い。脱原発なら、反対する国民は少数派だと分かっているからだ。
この、菅直人首相の身代わりの大胆さに比べて、仙石由人内閣官房副長官や岡田克也幹事長側は、菅降ろしの大義名分を打ち出せずにいる。もし、本当の大義を打ち出せば、自分たちも共犯になってしまうからだ。そこが菅直人首相にとっての人質となっている。
結局民主党執行部には、菅直人首相を引きずり下ろすための政策を打ち立てる能力がない。信頼もない。
しかし、菅直人首相の脱原発という耳障りの良いスローガンが、すんなりと国民の支持を得られるかというと、これも微妙だ。
おそらく国民の多くは、「脱原発は良し。しかし菅直人はまた嘘をつくのではないか。」という不信感もある。
それに、「脱原発とはいえ、ロードマップもなにも無いではないか。思いつきだろう。」とも見透かされている。
また、「東電の賠償スキームはどうした。東電を守り、電力料金値上げで国民に責任と負担を転嫁する法案を打ち出しているような菅直人首相を信用できるか。」という声もあるだろう。
さらに、「増税に積極的で、公務員制度改革にはやる気を見せず、被災者をほったらかし」な菅直人首相を支持する国民が増えるかどうかも疑問だ。