以前、玄海原子力発電所の再稼働の可能性について投稿した。
『玄海原子力発電所の地獄の釜の蓋』(6/20)
http://newsyomaneba.seesaa.net/article/210937880.html
このとき、佐賀県玄海町の岸本英雄町長は、玄海原子力発電所の2号機、3号機の再稼働について前向きな姿勢を示していた。それは当然のことなのだが、それについては後述したい。
そして今月の4日には、いよいよ運転再開を了承した岸本英雄町長だったが、7日になると、態度を一変させてみせた。
しかしこれはあくまでポーズだということも後述したい。
岸本英雄町長は九州電力株式会社の眞部利應(まなべ・としお)社長に電話して伝えた。
「運転再開の了承をいったん撤回させていただきたい」
古川康・佐賀県知事も同様に九州電力株式会社に不快感を示した。
何があったのか。
岸本英雄町長の電話を受けた眞部利應社長は「迷惑を掛けて申し訳ない」と陳謝した上で、
「今後については、なるべく早く説明にうかがいます」
と答えている。
理由は既にニュースで報道されているが、国がストレステストを行うことで玄海原子力発電所の再稼働が先送りになったことが一つ目の理由だ。菅直人首相がまたも思いつきで原子力発電所のストレステストの実施を発表したためである。
(ストレステストについては別の機会があれば別途投稿したい。が、今は玄海原子力発電所の再稼働について──。)
そしてもう一つが、こちらはかなりさもしい理由だが、九州電力株式会社の「やらせメール」問題が発覚したことだ。こちらについては、
「原発事故を起こさないようヒューマンエラー防止を求めていたが、まさにそこに触れる問題」
だとして了承撤回の理由とした。
電力各社は失望しただろう。つい先日まで、玄海原子力発電所が全国の原子力発電所の再稼働の先鞭を付けるはずだったからだ。
再稼働撤回を表明した岸本英雄町長自身もがっかりした気持ちを表明した。
「私の判断は無駄だった。運転再開の容認判断を一度撤回したい」
一見、岸本英雄町は玄海原子力発電所の再稼働を否定したかの様に見えるがそれはあり得ない。
ただ、世間的には一応、白紙撤回の意思表示として報道された。
岸本英雄町長は不快感を隠さずに語った。
「評価をやるならもっと早く示すべきだ。菅直人首相は信用できない。早く新しい首相に代わり安全と言ってほしい」
本音がぽろりと出てしまって居るではないか。そう、「早く──安全と言ってほしい」ということなのだ。
つまり、本気で玄海原子力発電所の再稼働を撤回するつもりなどない。一刻も早く再稼働させたいというのが本音なのだ。
それでも国の思わせぶりな態度には苛立ったには違いない。とにかく焦っている。このままでは定期検査があるため、
「年内には4基すべて止まってしまう」
そう言った。
結局、国の態度に立腹して玄海原子力発電所の再稼働を認めない、といったポーズはとったものの、岸本英雄町長の本当の苛立ちは、再稼働の時期が遅れたことにある。決して玄海原子力発電所の安全性に対する不安などではないし、原子力発電所の危険から町民を守ろうなどという殊勝な気持ちではない。
──金だ。
玄海原子力発電所を稼働させなければ、町が干上がってしまうのだ。
これまで九州電力株式会社は佐賀県にどれほどの金を与えたことか。
2010年には佐賀県唐津市(玄海町の隣)の早稲田佐賀学園の設立資金22億円の内、なんと20億円(つまりほとんど)は九州電力株式会社が寄付している。寄付と言うより、彼らが設立したようなものだ。
同じ年に佐賀県鳥栖市にある佐賀国際重粒子腺がん治療財団にはなんと39億7000万円も寄付している。
そして玄海町は、原子力発電所があることで、莫大な金が注がれていた。
例えば2007年から2009年の3年間で、電源立地交付金と固定資産税で124億5100万円を得ている。これは歳入の53.2%を占める。
この6500人の人口を持つ町は1960年代以降、玄海原子力発電所を持つことで生き延びてきたのだ。
そして本音ではストレステストなどどうでも良く、町民の安全や、ましてや県民の安全など興味のない岸本英雄町長が、一日も早い玄海原子力発電所の再稼働を臨んでいるのは、彼のファミリー企業である「株式会社岸本組」の懐が潤うためである。
岸本組の現在の社長は岸本英雄町長の弟だが、岸本英雄町長自身は同社の15%以上の株を保有している大株主だ。しかもかつては専務を務めていた。
1911年に創業して以来、唐津市と玄海町の土木工事を請け負ってきた。主に公共事業を請け負ってきたが、原子力発電所が誘致されてからは、九州電力株式会社の資本力による事業への依存度が高まっていた。
(株)岸本組が大きく躍進を始めたのは1963年から唐津市以外の地域に販路を拡大したころからだった。長崎、福岡、熊本などの北九州一円をカバーしようと営業をしかけていった。
その間も、受注の中心は官庁からの公共工事となっている。しかしそれらを基盤として、民間のマンション関連などの建築工事も受注を心がけていったようだ。
そして拡大を続け、佐賀県の代表的な建設工事業者となった。
しかし1998年ころになると、バブル崩壊と共に(株)岸本組の業績に陰りが見え始める。1997年4月期には127億以上の売り上げがあったが、1998年4月期からは103億弱、1999年には一気に86億弱に下がってしまった。
それでもまだ利益を出してはいたが、2008年になると、とうとう1億7027万円の営業赤字を出してしまう。このとき売り上げは28億弱にまで下がっていた。1997年の頃の2割近くまで下がったのだ。2009年4月期も同様の赤字だった。
しかし2008年末から営業方針が変わったようだ。各事業拠点の撤退と同時に、玄海町の営業所は支店に昇格している。玄海町での営業が強化されたのだ。
玄海原子力発電所である。このころから民間部門からの大口受注は九州電力株式会社関連の事業にシフトしている。
そして2010年4月期から売り上げが41億弱となり上昇を開始した。様々なリストラ努力も行ったことも要因になるとされているが、ここにきて8154万円の経常利益を出し、黒字転換している。
九州電力株式会社様々だ。
ここに(株)岸本組は活路を見いだしたと見られる。
と、以上は岸本英雄町長がかかわっているということで、(株)岸本組について紹介したが、これは一つの代表的な事例であり、このように玄海町や周辺地域には玄海原子力発電所を誘致したことによる莫大な金が注ぎ込まれており、玄海町のみならず、佐賀県自体が、玄海原子力発電所の恩恵を受けねば立ちゆかない体質になっているのだ。
つまり、安全も大切だが、経済上の豊かさと安定が、原発の不安定さと引き替えに求められていると言える。
結局は、金なのだ。