2011年01月30日

エジプト全土にムバラク大統領退陣要求デモの背景:第三部。

昨晩投稿した第二部でようやくムバラク大統領の登場までたどり着いた。

現在のデモ様子も気になるが、もう少し我慢してエジプトのこれまでを振り返ってみたい。

1981年に暗殺されたサダト大統領の後任として大統領に就任し、翌年には国民民主党総裁になっている。ここから30年、彼の政権が続くことになる。

ムバラク大統領も第四次中東戦争の時に、空軍司令官兼国防次官としてイスラエルへの電撃作戦で戦局を有利に導いたため、国民的英雄となった男だった。まぁちょっと濃いぃが男前でもある。

そんなムバラク大統領は、サダト大統領の政治路線を引き継ぎ、親イスラエルの態度を示した。

外向的には、親米、親イスラエル路線であり、政治姿勢は独裁的になっていった。社会の不安定さを抑えるためであったろうか。

しかしエジプトでの大統領制は、任期は6年である。但し再任が可能ということもあり、第2代大統領のナセル以降、事実上の終身制が慣例化している。そのため、現在のムバラク大統領も、既に30年近く、事実上の独裁的な政治を行ってきている。

一人の人間が、あるいは一つの政党が長期間に渡り政権の座についていると、腐敗は容易に起こるようになる。

そして国民は、その腐敗に当然のことながら不満を持ち始める。経済状況が良く、国民生活が豊かであれば、国民の不満は政府に向かうことは少ない。しかし、失業率が高くなったり食料高騰(2008年にはデモも起きている)などが起きると、途端に国民の不満は時の政権の腐敗糾弾に向かう。

そうなるとこの地域では必ずイスラム主義が活発に動き出す。

ましてエジプトでは、宗教政党を禁止しているため、事実上の最大野党と言われているムスリム同胞団は、なんと非合法化されているのだ。

とにかくイスラムの不満を抑えるのはなかなか大変で、彼自身、何度もイスラム主義者に殺され掛けている。

対して彼の方からもイスラム主義運動を弾圧した。

とはいえ、エジプト内にはイスラム過激派は多く潜伏しており、その中心にはアルカイダがあるという。

外国人もテロに狙われ、1997年のルクソール事件では日本人観光客も多数死傷している。

ムバラク大統領は、自分の命の危険と、高齢であることにより、彼の二男であるガマール・ムバーラクに大統領職を譲るのではないかという憶測もあり、まさかの世襲の可能性が噂されるようになっている。

そう、確かに独裁者は世襲を望むようになるのが世の常だ。

しかもムバラク大統領の政権の座への執着は強く、2010年に胆嚢に炎症が起きて摘出手術を受けた後も、「国民生活の向上こそ最も大切な仕事」と述べて引退の意思がないことを表明している。

その2010年、同じく地中海に面しているチュニジアで、ジャスミン革命が起きた。

ブログの記事がシリーズ化してしまい、長くなってきているのだが、このジャスミン革命は、このたびのエジプトのデモ(2011年エジプト騒乱と呼ばれつつある)に影響を与えたとされているので、次の第四部では、ジャスミン革命に寄り道してみたい。



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